2013年11月8日金曜日

慰安婦問題の真実_第一章_慰安婦とは?


第一章 慰安婦とは?

第一章を書くに当たって、以下のビデオの内容をベースにしました。
「慰安婦神話の脱神話化」第一部実際に何が起きたのか (14:30)
このビデオは主張の元となる出典がきちんとしていて、民族主義的というか憎悪をあおるような作り方でないのが気に入っています。

慰安婦が働く慰安所は軍が性病蔓延の防止、機密保持、などのため設置した軍隊のための売春宿でした。軍は慰安所を設置し慰安所の経営者に認可を与えました。慰安婦の数や報酬額などについて軍が決定権をもっていました。つまり慰安婦とは軍専用の売春婦以外の何者でもありませんでした。

慰安婦の数や慰安婦の出身国比率は論争上にありますが、当時2万人から20万人の慰安婦がおり日本人が3割半から過半数をしめていたと言われています。他は朝鮮人(5割から3割、レポートによって変わる)と台湾人が主でしたが、大東亜戦争末期には占領地で募集されることもありました。

慰安婦が慰安所で働く理由には、超高額の報酬と引き換えに慰安婦となることをいとわなかった女性もいれば、当時の日本や朝鮮半島には、堪え難い貧困のために娘を止むなく女衒(女性を買い付け、売春を強制的にさせる人身売買の仲介業者)に売らなくてならない厳しい経済状況にあった家庭がありました。あるいは、悪徳業者に騙されて売春婦と知らず契約させられてしまった女性もいました。当時の慰安婦とはこのような人たちだったのです。

当時の朝鮮半島で購読されていた新聞には、慰安婦募集の広告が載りました。このようにあ広告の写真は他にも見つかります。当時の二等兵の月給が6円の時代に300円から1,500円の稼ぎがあったようですから、いかに高給が支払われたかが分かります。



近現代史家・ジャーナリストの水間政憲氏によると、朝鮮半島で一般女性を拉致監禁して遊廓などに売り飛ばしていたのは悪徳朝鮮人業者だった、という。
皮肉なことに、日本で「慰安婦強制連行」説を主導してきた朝日新聞がその事実を朝日新聞朝鮮版で報道していた。

被害婦人は二十八名に上り、このほか南洋方面に誘拐されたものも多数ある〉『大阪朝日・南鮮版』19391121日付

田舎娘など十四名も誘拐 一味送局さる
『大阪朝日・西鮮版』1940628日付。


米軍がビルマで日本軍を掃討した際、捕虜とした20名の朝鮮人慰安婦と2名の日本の民間人を聴取した米軍の資料があります。
これによると、慰安婦は日本軍に奉仕する売春婦以外の何者でもないと報告されています。さらに、高額の報酬を得ていたこと、客を断る権利を持っていたこと、辞める自由があったこと、休日にショッピングを楽しんだりしたこと、兵士に求婚され実際に結婚したケースがあったこと、などの証言が記されています。いったい慰安婦達のどこが性奴隷というのでしょうか?

2013年8月には、朝鮮近代経済史が専門で慰安婦問題にも詳しい安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授によって朝鮮人男性の日記 (毎日新聞の記事)が発表されました。






邦題『日本軍慰安所 管理人の日記』(安秉直 著、出版:イスフ社)

その男性は、1943年か ら1944年にかけてビルマやシンガポールの朝鮮人慰安婦達のいる慰安所で働いていました。日記は、日本語とハングルで書かれており、安名誉教授が解読と解析をおこないました。

日記にある日付や場所は公式な記録と一致しこの日記の内容はとても信憑性が高いものとされています。日記には、米軍の公式記録(上記)によく合致する内容の他、「帰郷する慰安婦、お子は明日の乗船券を買った。共栄倶楽部(慰安所のこと)の慰安婦、尹重(子)も明日出発だ」(44年45日)、「保安課営業係に金愛の廃業同意書を提出し証明を受け取った」(4496日、つまり廃業の自由があったということ)「鉄道部隊で映画(上映)があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた」(43年8月13日)「慰安婦に頼まれた送金600円(二等兵の月給が6円だった時代ですよ)を本人の貯金から引き出して、中央郵便局から送った」(44年10月27日)、「正金銀行(横浜正金銀行のこと)に行き、送金許可された金守の11000円を送金してあげた>(44年124日)
などが綴られています。「慰安婦は性奴隷だった」という反日プロパガンダ側の主張とはかけ離れた慰安婦の実情が記されています。そして安秉直名誉教授は会見で、慰安婦は朝鮮人ブローカーによって集められ、「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」と述べています。

さてこの安名誉教授ですが、1990年に韓国内で設立された「韓国挺身隊問題対策協議会」が1993年に出版した慰安婦達の証言集の調査と出版に携わりました。安名誉教授曰く、「慰安婦を強制的に動員した」との証言が一部の元慰安婦からあるが、その客観的な証拠は日本にも韓国にも見つからなかった、と韓国のニュース番組で述べています。実際、日本軍や政府は方針として慰安婦を強制的に徴用することを禁じており、規則を部隊や民間人に遵守させようと努めていたことは、以下の公式書類から明らかとなっています。

日本の官憲、違法な方法で募集された慰安婦の雇用を禁じる指令
陸軍覚書き(軍慰安所従業婦募集に関する件、陸軍省兵務課38年3月4日)


内務省指令 (支那抗婦女の取扱に関する件、内務省警備局長 各庁府県長官宛 38年2月23日)

しかしその一方で、日本政府や日本軍が慰安婦の強制連行を命じた証拠書類は一つも発見されていない。後で日本の朝鮮統治時代について述べるが、日本は人心の掌握をする必要があった。その状況下で、朝鮮女性を拉致し慰安婦にするという軍や官憲の方針は理に合わないことは明らかです。第十一章で詳しく述べますが、当時朝鮮半島では警察官の7割が朝鮮人だったということですから、同胞の娘が日本軍に強制的に慰安婦にさせられたというのなら、この朝鮮人警察官達は見て見ぬ振りをしていたのでしょうか?

末尾に「鮮童殴打事件」の概要と資料のリンク先を付していますが、子供の喧嘩に日本人将校が首を突っ込み、朝鮮人の子供をないがしろにした小さな事件が、朝鮮の朝野を上げての大事件に発展しました。子供のけんかでさえ、この顛末。娘を日本軍や官憲に強制的に連れ去られていたら、暴動になっていたでしょう。連れさられたと訴える元慰安婦は、親に女衒に売られた結果、朝鮮人に連れ去れたと考えるのがもっとも理にかなっています。

前述の安名誉教授の言葉を裏付けるように、朴裕河 世宗大学日本文学科教授も最近の著書帝国の慰安婦」の中で同様のことを述べています。「朝鮮人慰安婦は朝鮮人のブローカーによって集められた」と。





さらに韓国生まれで日本に帰化した呉善花 拓殖大学教授はその著書




反日韓国に未来はないのなかで以下のように著述しています。

私は1956年韓国で生まれ、26歳まで生活していました。しかし慰安婦が日本軍や日本の官憲によって強制徴用されたなどとは一度も聞いたことがない。日本統治時代を知る韓国人に聞いても、誰一人としてそんなことは見たもとも聞いたことも無いと。呉教授は続けます。日本人の左翼活動家が韓国内の反日ナショナリストを焚き付け、悪意をもって架空の物語をでっち上げたのは明らかだ。

さて、もういいでしょう。反日プロパガンダにある「慰安婦強制連行説」「慰安婦性奴隷説」はでっち上げであることは、もう疑いようがありません。



ではどのようにして嘘をでっちあげて行くか、見てみましょう。前述の米軍のレポートや安教授の『日本軍慰安所 管理人の日記』について、それぞれ韓国のメディアである中央日報日本版と韓国の国営放送局であるKBSが報道した内容のリンクがこの2つです。

中央日報日本版 201306101726

“連行された女性、日章旗をつけた孫基禎、米軍が撮影した日帝強占期”

KBS 2013-08-08, 16:01:30]
“Diary Provides Strong Evidence of Japan's Wartime Sex Slavery” 

中央日報から抜粋「米国国立公文書記録管理局(NARA)の文書箱の中には、韓国人「性奴隷」(「慰安婦」という表記は日本軍の立場で使われた)20人に対する捕虜尋問記録がある。金儲けができるという話を聞いて連れていかれ、強制的に性奴隷になった事実が記述されている。中略。写真は国史編纂委員会電子資料館(http://archive.history.go.kr)で見ることができます。」

KBSから抜粋 the Japanese military asked its command in Korea to recruit women as sex slaves”

この第一章にリンクを張っているサイトで見られる米軍の資料は、NARAが公式に「これは本物だ」とお済みつきをくれたものです。しかし中央日報のリンクでは、簡単にモノにたどり着けません。こうして慰安婦=性奴隷を否定する資料の内容が歪曲され、嘘がひろめられていくのです。


カリフォルニア州アナハイム在住の作家、馬場信浩氏が羅府新報へ寄稿した内容から抜粋します。

「慰安婦問題は理で説明を」馬場信浩(アナハイム在住)

 羅府新報8月27日付けの入江健二先生の投稿に反論します。
中略
 誇り高き朝鮮民族が娘を拉致されてだまっていたのでしょうか。父が、兄が、弟が立ち上がらないのでしょうか。立ち上がらないのであれば朝鮮民族は意気地なしです。これは親が娘を売ったのです。売った親は出てこられません。戦後長く慰安婦問題がなかったのはそのためです。

 ここで朝鮮民族の闘いの一例を記してみます。それは昭和初頭に起きた「鮮童殴打事件」です。子供同士のケンカが始まりです。それに「なまいきな」と叔父の日本軍人が出てきて柔道の技で投げ飛ばしたのです。朝鮮人の子供は逃げ帰り姉に告げます。姉が飛び出し、将校にむしゃぶりつきます。それも投げ飛ばされます。今度は、母親。これも投げ飛ばされ、次は親父がかかりますが逆に取り押さえられそうになるのを交番に逃げ込んで助けを求めます。当時警察と軍の関係は良くなく、警察に保護された朝鮮一家は将校の非を唱えます。これが朝鮮の朝野を上げての大事件に発展します。この顛末を知りたい方はアジア歴史資料館に入ってご覧下さい。ネットで読めますから。

 たかだか子供のケンカですらこの騒ぎです。娘を慰安婦に拐(かどわ)かされたとなればこの程度ですみますか。吉田清治(著書「私の戦争犯罪」で、済州島で200人もの婦女子を強制連行したと名乗りを上げ、後にねつ造だったと告白)の言うことが起きていたら、朝鮮半島の日本統治はたちまち破綻していたはずです。

 また慰安婦への謝罪を要求されるのは筋違いなのです。1965年の日韓条約締結により日韓の間に横たわっていた問題はすべて解決すみとなったのです。慰安婦問題(当時はなかった)、徴用工問題などすべての補償は韓国政府の問題となったのです。当時の韓国国家予算の1.5倍の金が支払われたのです。その中から支払って欲しいものです。韓国の大統領はその金を経済復興に使いました。当時の金鐘泌首相は「涙の出るほど嬉しかった」と言ってます。日本はちゃんとやってきたのです。

 ここへきて慰安婦像の設置です。やるなら日本国内か韓国国内でしょう。なぜアメリカなのですか。これを説明して下さい。日本人が不愉快になる建造物を作って喜ぶ趣味が韓国人にあるのでしょうか。何があるのでしょうか。分からないのです。我々は、この地では異邦人です。お互い仲良くやってこそ隣国同士ではないですか。

 また遺恨を水に流せって誰も言ってません。日韓に遺恨なんてあるはずがない。同じ日本人としてあの戦争を戦い、敗戦に泣いたのです。その歴史を韓国人はないことにしたのです。戦争もしていない国に巨額な独立祝い金を払ったのは日本人の潔さではないですか。

 入江先生、なぜ建立が自然な流れなのかを情感ではなく理で説明して下さい。

以上、抜粋おわり。

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